竜人の娘
---------------------------------------------------------------------------------
人間誰しも、絶対に自分とは合わない相手というものが存在するはずだ。自分がどんなに人当たりの良い人間であろうとも、それを寄せ付けないほどの人当たりの悪い人間だとか。似たもの同士でそりが合わない場合なんて最悪だ。最初にそれが分かってしまうと、今後一切仲良くなろうとする気を失ってしまう。
それでも途中は頑張った、とラーロウは思う。何せ、似たもの同士でそりが合わないと分かっていても、その娘までそうかというと、それはもちろん違ったからだ。もっとも、娘といっても血の繋がりはなかったのだけれど。それでもラーロウがその娘に恋をして、互いに愛し合うまでなってとうとう結婚したからには、そりの合わない相手はいわゆるラーロウにとって舅になったということだ。愛する人の父親と、単純にそりが合わないからといって疎遠にして良いものだろうか。
いいや、愛する人の愛している父親ならば、自分も愛するようになるべきだろう。
ラーロウがそう考えたのは、結婚前の一ヶ月と、結婚後の一ヶ月だけだった。何せ、こちらがどう努力しようとも、向こうの歩み寄りがなければもともと合っていなかったそりが合うようになるわけもない。結果、かの人と和やかにお茶を飲むなどということは未だ実現せず、今後も実現しないだろうとラーロウは思う。愛しい妻も、夫と父親の関係はもうそれで善しと思っているようなのだ。
そんな具合なものだから、ラーロウが妻と暮らす我が家から、舅の住む妻の実家に一人で出向くということは滅多にない。結婚前ならば実家には妻がいて、彼女のために一人で通うことが当然だったが、舅と召使しかいない家に何の用事があるだろうか。妻が一緒ならばまだしも、ラーロウが一人で舅に向き合ったところで、ろくに相手もしてもらえないだろう。そんなことは百も承知だ。
百も千も承知していながら、ラーロウが妻を伴わずにこうして舅の住む屋敷を訪れるのは、これが結婚後二回目のことだった。
「……舅殿。どうか助けて下さい」
そして舅にこうして頭を下げるのは、結婚の許可をとった時を合わせると三回目になるだろう。そしてその三回すべてに対する舅の最初の反応は、長い長い沈黙だった。
舅は頭を下げるラーロウの目の前で、長い足を組み、優雅な手つきで分厚い本のページを捲っていた。傍らには召使の少年が立っていて、主人とラーロウのためにお茶を淹れている。召使の少年にとって、主人との沈黙の時間は日常そのもので、今更緊張するほどのものでもないのだろう。だがラーロウにとってはそうではない。この居心地の悪さを何と表現したら良いだろうか。
そりゃあ、この人がニコニコ笑って饒舌に喋り始めたら、そっちの方が居心地悪いが。
ラーロウの身分から考えれば、単純に他人に頭を下げることに慣れていないせいと言えるかもしれないけれど、この居心地の悪さはそれだけが原因ではない。
「…………下らない夫婦喧嘩の仲裁なら二度とごめんだと言ったはずだがな、婿殿」
眉ひとつ動かさず、そして視線も本の上に落としたまま、長い沈黙を破って舅はそう答えた。若かくて張りがあるが、年老いた隠者のように落ち着きも兼ね備えた静かな声。
「えぇ、確かに。けれど今回は違います。俺の力ではどうしようもない事態なんです」
ラーロウは切々と訴えるが、それに対する舅の反応はどこまでも薄い。長い指がティーカップに伸ばされ、指がカップの取っ手にかかるとカップは口元に引き寄せられる。ラーロウの目はそれを追って自然と舅の顔へと向けられる。
青白い肌。病気かと疑うほどだが、舅にとってはそれが健康な状態らしい。そして娘にさえ美しいといわれるような整った顔。確かに美しい。それはラーロウも認めよう。けれどもその美しさは非人間的だ。実際、舅は人間ではないのだから非人間的で当然なのだろうけれど。
「……妊娠中なのだから多少の不安定さは見逃してやるべきではないか? 優しい婿殿」
どこか物憂げにティーカップをテーブルに置き、舅の手はまた膝の上に置かれた分厚い本に戻った。分かっている。舅は何があろうとも娘の味方をする。当たり前ではないか? 父親が、今まで大切に育ててきた娘を奪った――他に何と言えばいい?――男の味方をするわけがない。
あぁ、分かっていたさ! でもだからと言ってどうすればいい?
いい加減反応薄な舅の態度に苛々していたラーロウは、舅が嫌味にもならない軽い調子で言った“優しい婿殿”の一言でぷつんと頭のどこかが切れた。
「えぇ、多少ならね! それでは済まされない! 異常ですよ、ラベンナの不安定さは! 従女でさえ近づかせないんです。俺なんてお腹の子の父親なのに、元気に動く様子を触って確かめることもできないんですよ?」
怒っているのに泣きたくなる。怒っているから泣きたくなるのだろうか。声を荒げて訴えたラーロウに、驚いた様子を見せたのは舅ではなく召使の少年の方だった。
「はぁ、随分と楽しみにされていたのですね、ラーロウ殿下」
妙に脱力した感じの少年に向かって、ラーロウはここぞとばかりに捲くし立てた。反応の薄い舅に向かって言葉を並べ立てても効果はないが、少年になら多少効果はある。まぁ、効果があるないではなく単純にラーロウがこの家に対するどうあっても気詰まりな感覚に耐えかねたというだけのことでもあるのだが。
「当たり前じゃあないか! 俺とラベンナの子どもだぞ! 男か女か分からないが可愛いに決まっている! ラベンナとお腹の子どもの話をして将来のことを話し合う幸福な時間を過ごすことが俺の望みだったのに! ラベンナは俺を悪魔みたいに部屋から追い出すんだから!」
そして追い出されたら無理に押し入ることはできなくなってしまう。それがラーロウと妻ラベンナの力関係なのだ。結婚前から歴然としていたその力関係は、だからこそラーロウを強くラベンナに引き寄せたのだとも言える。
「普段から追い出されるようなことをされているせいではありませんか? 殿下」
力説した割にはジャミには半分呆れられている。もしかしたら、舅には全面的に呆れられているのかもしれない。
「言ってくれるな、ジャミ。だが先ほど言ったように追い出されるのは俺だけじゃあない。食事を運びに行った従女だってそうなんだ。今では武装させた騎士に食事を運ばせるしかないくらいなんだぞ。そうでもしなければ彼女の怒りが抑えられなくなったときに危険で仕方がないんだ」
さらに実情を伝えると、ようやくそんなに酷いのか、という風にジャミの顔が変わった。これは何とか上手くいくかもしれない、とラーロウが思ったのは鉄面皮の舅が、案外この召使の少年に弱いことをラベンナから聞いていたからだった。
「……カリス様……」
ジャミの大きな瞳に訴えるようにして見上げられて、舅の表情が少しだけ変わった。眉間に皴が一本。一本だけ。けれど十分な反応だ。
「あんなに苛々してばかりではお腹の子どもにも悪影響がでます。舅殿、どうかお力を貸してください」
とどめとばかりに、娘の子ども――例え孫のできる年齢に見えなくとも舅にとっては初孫だ――のことを持ち出すと、舅の眉間の皴は二本に増えた。そしてまた長い沈黙。本当にこの舅との会話は心臓と胃に負担がかかりすぎる。
「……確かに、ラベンナの様子は竜人の血が多少なりとも影響を与えている結果だろう」
舅のどこか苦々しげな言葉も、今回ばかりはその内容がラーロウの全身を軽くした。
「では!」
「先に戻っておられよ、婿殿。竜人の血については私が責任を取るという約束だからな」
重い腰を上げた舅は、不機嫌そうにそう言ってラーロウを屋敷から追い出した。そして首尾よく気難しい舅を引っ張り出すことに成功したラーロウは、追い出されるまま行きとは全く違う軽やかな足取りで自分の家へと急いだのだ。